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<title>SPIRITUAL  POWER  OF  JOY</title>
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<description>～コツコツ探求道～</description>
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<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/11/post-42f1.html">
<title>医療とヒーリング②</title>
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<description>とても複雑なのです。 医療という分野で「看護」を特にターミナル期になにがしかで関...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;とても複雑なのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;医療という分野で「看護」を特にターミナル期になにがしかで関わることは私の歓びです。大きな「死」という扉をくぐろうとしているヒトビトに対し、私が出来ることをさせていただくことに何も苦痛はなく、むしろ歓びです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;患者様が穏やかであればそれでいい、と感じてもいます。そのために何ができるのかを考え、そのために自分を奮い立たせ、情熱を持ちつつ変容をし続ける・・・そのことが歓びです。私が様々なことに気づき、変容していくことでさせていただけることがどんどん増えていきますから、気づくために何かしらのモノゴトが起こっていくのもそれもまた歓びです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;しかし・・・・もどかしく、そして「この関わり方でいいのだろうか」という違和感は少なからずあるのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「あなたがそれを実行していればいいのです」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;といつだったか３～４年前に言われたことがあります。他者がどうであれ、あなたがそれを行っていればいいのだ、と。もちろんそれはさせていただいています。ですが「もっと」という部分で少なからず考えてしまいます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私の身の回りにいるヒトビトにもそれを望むのはやはり「エゴ」なのだろうか・・・と考えることもあります。そのヒトの段階によってそれぞれが最善を尽くしているのは十分に感じています。ですから「ダメである」と言っているわけではなく「もっと向上することはできないのか」と私は言っているだけなのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;よく、亡くなった方々に言われるのは「私たちのためにあなたが怒ることはないんだよ。十分にみんな出来ることをしてくれたのだから。」と言われます。・・・・・・未熟な様々なことでもそう言ってくれるのです。それに、甘えていいのだろうか、だからこそ向上を目指したい、と思うのだけれど・・・・。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「目に見えること」だけで生きているヒトビトがほとんどの医療の世界で、いったい私に何が出来るのだろうか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;多くのことを「試練」と捉え、歓びとは感じないヒトが多くいる中で一体私に何が出来るのだろうか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;どうしても「私だけがしていればいい」とは思えないことが多くて・・・でもそれを強要する気持ちもなくて・・・そのハザマに時々疲れてしまいます。そして、それらに疲れきってしまうと、エンジェルたちや様々なサポートをしてくれる存在たちが「強制的に」リトリートに私を連れて行ってくれます。「いいから休みなさい」と、「いいからリラックスしなさい」と様々なところへ連れて行ってくれます。解決法や新たなエネルギーを得るためのサインもくれます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;おばちゃんが教えてくれたこともたくさんあり、そこから様々なことを学びました。大きな私の変容を促してくれています。それと同じ様に患者様一人ひとりがいろいろなことを教えてくれて、いろいろなことを学ばせてくれます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「看護」に関わることがあとどれくらい続くのかは分かりません。大きく何かが動き出していることも分かっています。看護ではないカタチで私がすべきことがあるなら教えてください、と常々お願いをしています。看護であるなら、それをどう進めていくかを教えてください、とお願いをしています。医療の世界にいつつヒーリングを行うことが出来るならばその方法を教えてください、とお願いをしています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;医療の世界の「看護」もヒーリングも私にとっては「同じ」歓びです。しかし、その進め方がイマイチ分からなくなることがあるのです。どちらも選ぶことは必要ないことは分かっています。どちらが正しいとかどちらが優れているとか、そんなことではなく・・・・「何ができるのか」ということが私の焦点であり、私が出来ることを最善に発揮できるカタチを探し続けているのかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;看護の世界に生きる、医療の世界に生きるヒトビトにも私が一体何が出来るのか。身の回りにいるヒトビトに一体何ができるのか。すべてのヒトビトに一体何ができるのか。それを見つめています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;どれもが愛おしいヒトビトで、穏やかであってほしい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「すでに幸せである」ヒトビトです。ご本人たちが苦しんでいるという事実があるのはそのヒトそれぞれの世界でのことです。そのことだけでも伝えるにはどうしたらいいんだろう、と感じます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;サインだらけの毎日で他者からの「オーダー」が続く毎日です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私にとってヒーリングは私のバランスを整えるのに最適な「ツール」です。多くのことを理解させてくれる「ツール」。自分が歓びに包まれて生きるための「ツール」。寝るときにだっこする「ぬいぐるみ」のようなあたたかさのある「ツール」です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;この「ツール」をいかに行使していくか・・・ここ１～２年でわかるときが来る様な気がしています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-11-02T21:19:28+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/11/post-d216.html">
<title>医療とヒーリング</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/11/post-d216.html</link>
<description>私が長い間違和感を抱いている部分を書こうと思います。 「医療」は科学を元に構成さ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私が長い間違和感を抱いている部分を書こうと思います。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「医療」は科学を元に構成されています。科学的根拠を元に、診断や治療が行われます。「異常があってそれを正しい形へと直す」ことに科学的データを元に実行されます。使われる手技や薬もきちんとした根拠のあるものです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「ヒーリング」＝「癒し」は少し違います。科学的に根拠がある部分は今でも少ないように感じます。そのヒトの中で一体何が起こっているのかは実に「主観的」で、外から分かるのはオーラやチャクラなどです。「視える・感じる」というものも何かの映像にしたりすることは難しいものばかりです。（機械的に、ということ。レントゲンのように）「視る・感じる」に関しても視る側・感じる側のそのスピリットの領域のことを感じるので、同じことを視てもらったとしても、結果は様々です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;幼い領域しか理解していない状態で幼い学びしか得ていないスピリットでは「視える・感じる」ことを「どう理解するか」で差が出るのです。もちろん、医療でも同じです。幼い人格で行使されるのは「幼い医療」です。同じ医療でも実行する、それを使うものが幼ければ幼い領域になります。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私の違和感はそこにあります。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;医療は同じ一定水準で行われるものではないのだろうか、という部分です。なぜなら「科学」という一定の「基準」がある分野なのだから。しかし、ヒーリング同様、それを行使するヒトビトのスピリットの段階で行われることに差があるのです。？？？つまり、「こうしましょう」という基準を理解するかどうかはやはり「個々」なのだということ。・・・・・それでいて「科学的根拠を元に行われている」と言えるのだろうか・・・という違和感が出てくるのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;看護に関しては、ヒトビトとある意味密着しているので「人間性」が大きく差を出させます。しかし、それでも「一定の」水準は保たれるように「専門職」として教育されるはずです。しかし、どうしても「個々」の部分で差が出ます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・・結局は、「科学を行使する」ということであって、ヒトビトそれぞれが切磋琢磨しスピリット的な変容をし続けてこそその質も向上するということです。・・・・ふむ。「患者様は‘今‘苦しんでいるのになぁ」・・・。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私がいつも感じること。「せっかくヒトビトの健康という分野での奉仕という行為を選んだのだから、それを実行するヒトビトが幸せであれば奉仕される人々も幸せになるだろう」ということ。だから「仕事を楽しみなさい」と後輩には言います（先輩にも言います）。楽しく実行することでそれを受ける方々も幸せを感じることが出来るのですから。・・・しかし、扱っているカテゴリーがやはり健康ではない、少なからず不具合があるところですから患者様が抱えているものは「幸せ」とは言えないものも多いです。だからスタッフたちはいつでも気を張って、いつでも患者様の「助けてよ～」とか「苦しいよ～」とか「どうにかしてよ～」というものに触れ合わなければなりません。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;それを「どう捉えるか」で差があるのです。「それらに奉仕できることが私の幸せである」とするのか「しなくてはいけないんでしょ」とするのか、です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;いろいろなことを見てみると私は「ヒトビト」というカテゴリーが気になるのです。医療を行使するにしてもヒトそれぞれ。この違和感が私をヒーリングに繋げさせた理由のひとつのような気がします。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;少し前に「おくりびと」という映画ができました。私がいつも患者様の体をきれいにしてあげようよ、という理由はそれと似ています。長期の闘病生活でしかもターミナルになってくるとお風呂に入ることは難しいです。そんな中、ところどころに垢や老廃物は溜まっていきます。ことあるごとに「きれいにしましょうよ」と提言したり、自分で実行したりはしていますが・・・・「だって忙しいから」とか「これぐらいでいいでしょ」とかでその体はきれいな状態を保てることが少ないのが現状です。「・・・・・最期のお別れの時に‘臭い‘なんて・・・」と私は思うのですが、それは伝わりません。ですが、「臭いよね～」と言っているのに「実行」するとなると「忙しいから」で行われない・・・・・？？？&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「何かがおかしい」と感じるのにそれを伝える術がないときもあります。「理由」として「バイタル（脈や熱・血圧など）に異常」があるわけでもなく、ご飯が食べれていないわけでもない・・・「おかしい」を「医療」として伝えることがすごく難しいのです。ですから私は「いつもはこうですが、今日はこんな感字です」としか言い様がありません。しかし・・・・その「いつも」に関してもヒトそれぞれ見方が違うので上手くは伝わりません。私も機械ではありませんので「これこれこうゆうデータが・・・」なんていう異常をその段階で察知することはできませんから、「何かがおかしい」を伝えるのがとても難しいのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「異常」が「体」に出てくるのは、私の感覚では「あふれ出す」とか「いよいよもって出てきてしまう」という感覚なのです。「も～辛抱たまらん」みたいな感じで表に出てくるのです。しかし・・・・必ずその前駆症状はあります。とても微細で、本当に些細なサインが確実にあるのです。それを伝えるときに使うのが「いつもと違う」という表現なのですが・・・「いつも」すらヒトそれぞれ感じ方が違う・・・・・。このスパイラルが正直とても疲れます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;それが伝わらずに何人もの患者様の重症化を止めることができなかった事があります。正直、くやしい。だから、精度を高めるために努力をし続けます。まだ表に出ていなかったり、科学ではない部分が根拠である時はレイキも流します。でも・・・追いつかないのです。毎日私が仕事に出勤している訳でもありませんし、業務上で患者様に直接触れ合うことが出来ない分野のことをしなければならないことも増えてきました。もどかしいのです。「直接患者様に触れ合いたい」ということも含めて、どんどん後輩を育てていけばいい、と思うのになかなかそれも上手くは運びません（あの子はそうゆう性格だから、と教育は放置されているのが現状です。ですから、出来る業務が固定化されてしまい、なかなかみんなが同じ様に業務をこなせる、という段階にはならないのです）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・「医療」とはいうけれど、結局はヒーリングと同じで「ヒトそれぞれの段階で行使される」のです。なのに「医療」は科学、という考えから抜け出さずに、人間性を高めるというところは放置されがちです。教育はしていることでしょう。しかしそれは「勉強」という知識や手技の方面ばかり。人間性を高めることは「「個人の自由」としています。そして、ルールばかりが増えていくのです。ルールがあれば「その通りの行動することで一定のことが行われるだろう」ということで。・・・・・ルールがあったってそれをどう使うかはそれもまたヒトそれぞれ。ルールだけを守ったって患者様は癒されないのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;医療が「健康上の問題」を扱う分野だという事は分かっています。つまり「肉体」に対するアプローチなのだということは分かるのです。しかし・・・・肉体を直して・・・それで？と感じることが多いのが私が感じることです。特にターミナルや老人を対称にしていると「治る」よりも「看取る」ことが多いのです。では、いかに看取るのか・・・。そこには「肉体」よりも何か違う要素があるのではないだろうか、と思うのです。もしかしたら、成人の看護として医療に関われば違うように感じるのかもしれませんが、今はターミナル期に関わっているので日々いろいろ感じます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #6600ff;font-size: 0.8em;&quot;&gt;医療とヒーリング、体とココロとマインド、そしてスピリット・・・それらが融合したことが出来たらいいのになぁ・・・といつもそれを目指すようにしています。・・・この違和感を感じることにどう取り組もうか・・・というのが、私の長年のテーマであります。みんなの中の「ジャッジ」がそれを阻んでいることも多いので、どうしたものか、と感じる毎日です。「私がそれを実行して見せていく」だけでいいのかなぁ・・・と最近は考えています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-11-02T20:30:19+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/11/post-b6ef.html">
<title>自分に優しくする</title>
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<description>私の最近のテーマは「自分に優しくする」です。 伯母の一件があった後、なんだかしょ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私の最近のテーマは「自分に優しくする」です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;伯母の一件があった後、なんだかしょんぼり・・・な気持ちがあって、とても複雑な日を過ごしていました。友人にオーラを見てもらったら「腹部から下腹部にかけてオーラがそげている」と言われました。確かにしょぼ～んな感じで何に対しても抵抗力がなく、大きく傷ついてしまいそうなほどに何かをえぐられた感がありました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;それから早３週間近く・・・２週間を越えたあたりから、「悲しみ」は次のステージに入り「気づき」へと移行しました。そうしたら・・・凄い凄い・・・・今までにない「癒しのプロセス」が始まったのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;細かくは少しづつ書いていこうとは思っていますが、その中でのキーワードが「自分に優しくする」でした。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;それの対象語として「自分に厳しすぎる」とも言われていました。ですから、長い長い間の私の深いところにある部分への癒しのプロセスが行われたのです。これもまた、おばちゃんが気づかせてくれた愛でもあります。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・よく分からないなぁ・・・というそれらとの向き合い始めのころ、友人との話で「アーユルヴェーダ」を受けられるところがある、という話題になり予約をしてもらいました。以前書いた巡りに巡っている「５万円」を「自分のために使おう」と決めた矢先でした。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;そして今日、アーユルヴェーダを受けに行ってきました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・なんというか、「もてなされるってスゲェ！」みたいな感じです。お金を払っているとかそうゆうことじゃあなく癒されました。一番最上級のフルコース１５０分。始めの１時間は全身をオイルでぬたぬたとマッサージされます。これが気持ちがいい。足の指先から頭までオイルまみれになります。そして次にシーロダーラという額にオイルをたら～～と流してくれる。しかも結構ゆっくりと長い時間。たましいのレベルまで深い癒しを与える・・・というシーロダーラ。なんだか自分でもよく分からないところで「腑抜け状態」にさせられます（笑）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;そして次はハーバルスチームといって底にハーブを焚き染めその上にスチームバスがある。そして頭だけ出してハーブに体を焚き染めてもらうのです。その前に全身をトリートメントされていてシーロダーラで腑抜け状態にさせられ・・・そして蒸される。この段階ですでに思考は停止しています、完全に。そして、それが終わるとハーブバスにつかる。なぁ～んも考えずあへぇ～～な感じです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;その後はシャワーを浴びて、瞑想部屋でゆったりして・・・最後にハーブティをいただいてコースは終了、になりました。全ての工程を一人のスリランカの女性が担当してくれました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;なんというか・・・凄いな！と感じたのは「王族のリラクゼーション」と言われるアーユルヴェーダ・・・というのがはっきりと分かったのです。全ての工程をしてくれる施術者が・・・・完全な「空気」として、完全な「施術者」として関わってくれていることです。日本人のサロンなどはどちらかというと「我」がきちんとあります。（私がよく言う「癒されてあげなければ」と感じてしまう部分ですね）しかし、今回は違いました。深い深いリラクゼーションを提供することに何の違和感もなく「空気」でいてくれるのです。でもしっかりと細部を見ていてくれている。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私が小さな音に目を開けたらすぐに来て「熱いですか？」とか、シーロダーラの後に腑抜け状態なのでかくかくした動きになっていると自然と寄りそうようにいてくれる。（はじめて「介護」されている気分になった）小さな小さな私の動作や変化を少し離れたところで凄く静かに見守っているのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「王族のリラクゼーション」というのが分かる気がしました。けして「誉めて誉めて！」みたいな「我」がないのです。おかげさまで不思議なほどリラックスして「無」になることができました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;そのリラクゼーション度合いが分かるエピソードをひとつ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;全身トリートメントなので紙製のパンツをはきます。・・・・どの段階でそのパンツを脱いでいいのかは解説はされませんでした（友人はバスに入る前に脱いでいいですよ、と言われたそうです）。これまた、顔も頭もぬたぬたのオイルまみれになるのでコンタクトもめがねもはずします。０．０３しかない私の視力と腑抜け状態で完全に「考える」ことがフリーズしていた私はよく分からない感じになっていました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;シャワーを浴びた後・・・・「ところでパンツはどうしたらいいんだろう？」と。この後は瞑想部屋で少しゆっくりするんだよなぁ・・・でも、今シャワーで体を洗ったのにパンツはどうするの？？といっこうに「パンツはどうするのか」について答えが出ません。そして・・・一度ゴミ箱らしきボックスに捨てたけれど・・・もう一回はいてみました。「ちべたい・・・」と思ったけど。・・・・・・で、シャワー室を出て歩き始めたら・・・なんだか履き心地がイマイチ。でも深く考えることもまだ腑抜けになっていて「あぁ～・・・」という感じでした。瞑想部屋に行ってもあんまり深く考えませんでした。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;そして全てが終わり「着替えてください」と言われて気がついた。「足を入れるところに胴が入っている！」と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;つまりシャワーを浴びてオイルを流した後、ふわふわした思考でよく見えない目でちべたいパンツをはき直したときに・・・足を入れるところを間違えたらしいのです。どうりで片方の股のほうだけ引っ張られるはずさぁ～。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「究極のリラックスって凄いなぁ・・・・パンツはき間違えちゃうんだぁ・・・」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;今日一番の笑いネタとなりました。オイルでぬたぬたになり、極上の「無」になり、パンツはき間違える・・・みたいな。片方から何かがはみ出ていただろうか・・・なぁんて（笑）。人生で一度きりの不思議なパンツのはき方をしてしまったリラクゼーションでした。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「自分に優しくする」ってなんだか素敵なことかも・・・と感じています。どうゆうことかはこれからゆっくりと感じていこうとは思っています。一番大きいのは、「時には完全に甘えてしまってもいいのかもなぁ」と今日のアーユルヴェーダで教わったことかな。「自分で何でもやろうとしないで手伝わせてください」とよくエンジェルたちが言ってくれるのも甘えていいのかなぁ、なんて。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;素敵な一日でした。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-11-02T02:04:40+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-f0c1.html">
<title>相反する</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-f0c1.html</link>
<description>「あなたが本当にしたいことはなんですか」 それをカードで引くことが最近は多いです...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「あなたが本当にしたいことはなんですか」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;それをカードで引くことが最近は多いです。正直、このクエスチョンはいつ出ても私にはう～・・・となります。よく分からないのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;今現在の生活でどこかに不満があるか、と言われると「あると言えばある」のです。いくつかの記事で書いたように「同じ領域で話が出来る人と出会いたい」という部分です。・・・・ですが、よくよく振り返ってみると私と同じ領域で・・・なんてことは難しいことが分かりました。そもそも「個」であるのだから、一人ひとり持ちえる内なる世界はそれぞれ。それらを共有する、なんてことはまず無理。「共感」つまり「シェア」は出来ますが。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;そう考えると「どこに行っても同じ」なんですよね。ただ、私の中に「同じ言語で同じことを望んでいる同志に出会いたい」というものはいつでもあります。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ここで私がいつも踏み出せないでいる理由がある。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;スピリチュアルの分野に行けば「あなたが本当に望むことをしましょう」「あなたを大切に」と言ってくれます。ですが・・・・そこに邁進してしまうと、「納得」はしてくれないヒトビトがいる（と思っているだけ？）。例えば、両親。私も人間ですから少なからず自分がしていることを愛するヒトに否定はされたくはないです。ですが、ヒーリングやリーディングにおいて理解をしてもらうのは難しい。「そんなことより、お金を稼いで安定した生活をしなさい。もう心配かけないで」・・・・・・ふむむむ～～～・・・・・。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「私が」幸せなんです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;でも、それを続けていって「心配」するヒトがいる。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「無難なナース」をしていたら・・・なんていう「滑稽な舞台」が成り立つわけですね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「こうなってほしい」という親心は十分に分かります。ですが、「それは私のしたいことではない」と行き着いてしまうんです。「心配するならしてればいいじゃん」と私も出来ればいいのですが、どうもそれもなかなか難しい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・と、これまでは踏みとどまっていたのですが、「滑稽な舞台」と称されてはた、と振り返ってみたのです。ジェレミエルの「人生の回顧」というカードです。アンジェラにも言われました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「あなたが今までしてこなかったことではなく、今まで何を出来てこれたのかを見つめてください」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・つまり、「あなたの中に全てはある」という答えなんですね。自分のこれまでの人生を振り返ってみて、「どんな失敗をしたか」に目を向けるのではなく「何を培ってきたのか」を見つめればいい、と教えてくれたのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;正直、いろんなことを経験しました。その中でいろいろなものを培ってきました。それを信じて進めば「かつてと同じ失敗」はないだろう、ということも気がつきました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;なんだかんだと言っても、母同様、どんな仕事でも一生懸命働いてしまうし、どんなことがあってもなんだか乗り越えてしまうし・・・・・ということは「あなたが何をしてもいいのです」ということが当てはまるんです。何をしようと私は頑張ってしまう。「自分に厳しすぎる」と言われてしまうぐらい（笑）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私の中で相反することが一つ一つ解決されていっています。私の「過去」や「未来」を見て両親は心配してくれる。けれど、私は「今」やりたいことがある。今の私が幸せならば「未来」も幸せなんですよ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私の中にあるのは「探求」と「ヒーリング」「絵を描くこと」なんです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;それらで生きていくことがなんだかワクワクするし、嬉しいんです。自分でカードを作りたいな、と思っています。自分の好きなことをしていく人生に踏み出すことが出来そうな気がしています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「皆さん待っていますよ！」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;といつか言われたことがあります。みなさんて誰だろう？といまだに分からないのですが（笑）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;母が「心配」し過ぎることがないようエンジェルにサポートしてもらえばいいかなぁなんてのん気に考えています。だって・・・・私が幸せであることが母の願いなのだから。物質的に貧乏でも、生きてさえいればいいのではないかな。霞食べて腹いっぱい～でもいいじゃん、と思っているのは私だけかなぁ。この不況な時代にうふふ～で生きる私なりの生き方。「小さなことで感動する」ただそれだけ。今日は天気がいいから毛布を洗いました。今日の夜はふかふかな毛布にくるまれて眠れます。こんな至福な時はありません。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;この前は、いつも固めのご飯が好きなのですがちょっと柔らかめに炊いてみました。そしたら・・・美味しかった。うふふ～となりました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・・こんな単純なことでうふふ～になれる私が、どこをどうしたら「心配」されるのかがよく分かりません。美味しい米を食べられるように働くことは嫌ではないんだし・・・・。「どんな仕事」をしていようがいいんじゃあないの？と思うのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-28T10:28:23+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-73ef.html">
<title>問題は・・・</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-73ef.html</link>
<description>ここ数日テレビはのりピーのニュースばかりです。 ・・・「私たちを騙したな！」とい...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ここ数日テレビはのりピーのニュースばかりです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・「私たちを騙したな！」という想念が強い気がするのは私だけでしょうか。一人の人間が薬を使用した、ということがこれほどまでに「大きいこと」として捉えられるのは・・・問題は「それを見ている側」にとって様々なテーマが浮き彫りになっている事件だから、だと思います。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「ひどい母親だ」というヒトがいるけれど、じゃあ「あなたはどうなの？」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「嘘をつかれていたなんてショックです」と言うけれど、じゃあ「あなたはどうなの？」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;誰しもが「私はこれほどひどいことはしていないもん」と叫んでいるようです。自分よりひどいことをしているかのように見えるヒトをあげつらって・・・・「私は違うもん」と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;彼女がしたことはいろいろな意味で大きなこと。社会的影響も大きいし、経済的にも大きな損害を生んでいます。でも・・・今の騒ぎ方は「あののりピーが！」みたいなところが強いと感じます。・・・・彼女の何を知っているというのでしょうかね。「夢を与える立場」であるはずが「それを壊した」ということでの怒りのほうが強くないですか？&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・例えば、彼女の行動を自分と当てはめてみたらどうでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;自分も薬をしてしまっている状態の時、目の前で夫が逮捕される。・・・彼女は逃げました。あなたならどうしますか？&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;裁判での心象の意味で「介護」といういかにも的なキーワードを出せば、裁判に優位だという日本の裁判があったとして・・・・あなたは「介護」をキーワードには絶対使わない、と言えますか？それを使うかどうかで執行猶予が付くかもしれない、となってもあなたは「介護」というキーワードを使いませんか？&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;みんな「自分じゃあない」ということで好きなことを言っています。もちろん、そもそもの「薬なんかに手を出したりしないもん」というところで創造力の欠如が感じられます。彼女にとっては「薬」でしたが、あなたにとってもそういった「何かを忘れるためにしていること」があるのではないですかね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「騙された」と言いますが、彼女にとっては「それが仕事」でした。薬を使ってまですることではないとは思いますが、彼女はいつでも笑っていなければならない立場でした。イメージを大切に、といつもニコニコとたぶん自分とはかけ離れているイメージのキャラクターも演じていたことでしょう。・・・・あなたは、自分の身の回りのヒトに「あなたはこうゆうヒトだから」とレッテルを貼ってはいませんか？つまり「こうであってほしい」とか「こうでしょ」という思い込みを持って、時には「そうしてよ」という強制じみたこともしているのではないですか？&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;問題は今回の一連のことを「私ではない」と言い放つヒトビトのココロにあるのではないかな、と感じます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;同情なんてすることは必要ないかもしれない。けれど、彼女が見せてくれた人間が持ちえるエゴや未熟さを「私は違うもん」とヒトゴトとしては、何も変わらないでしょうね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「介護」をしたければすればいい。それが本当に介護といえるならば。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;テレビを回すとどこもかしこもこの関連のニュースばかり。みなさんはいい加減飽きないんですか？？彼女がこれからどうなろうといいじゃあありませんか。身近な彼女のことを本当に心配している人間だけが真実を知ればいいだけのこと。どうでもいい、と思っている人間が彼女のことを知りたいって不思議なことですよね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;薬が飛び交っている事実を知らない訳じゃあなかったんでしょ。でも、よく分からない「必要悪」みたいな感じでそれらを扱う団体の存在を許している。世の中にいる様々なことを許してきているじゃないの。それでいて「使った方が悪い」の一点張り。・・・・・根絶やしにしてみたら？そんなに「悪いこと」ならば。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;自由や尊厳や人権て・・・・なんなんでしょうね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;いつまでたっても戦争や諍いがなくならないのはそれを履き違えているからでしょ。それほど悪だというなら根絶やしにすればいい。でもそれじゃあ解決にならないからと遠慮する。一体どうしたいのさ、と感じます。「情け」なんて「自分は悪者になりたくない」といういい訳にも使える言葉なんですよ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「共に生きる」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;これにもきちんとルールはあるんです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #00cc99;font-size: 0.8em;&quot;&gt;自覚は出来ないかもしれないけれど・・・・「地球」に淘汰されますよ。（どちらが淘汰されるかは分からないけどね）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-28T09:36:03+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-16d0.html">
<title>一歩を踏み出す</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-16d0.html</link>
<description>ずいぶん前から私は言われ続けていたことがあります。 「もっと自分を大切に」「もっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ずいぶん前から私は言われ続けていたことがあります。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「もっと自分を大切に」「もっと自分を愛してあげてください」「もっと自分に優しくしてあげてください」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;それがどうゆうことなのか本当に分からないでいました。いろいろな環境の中でもヒトの中でも歓びを感じ、ひかりを見出し過ごしてきました。・・・それでも、言われるのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「自分に厳しすぎる」と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;う～ん・・・よく分からない。で、今のところ「自分が楽しいと思うことで生きてみよう」と結論が出ました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;今までは「その環境・ヒト・モノ」の中で歓びを感じて生きていました。しかし、どうやらそれが「滑稽な舞台」と称されることらしく・・・・ならば「楽しいことにまみれてみよう」と。もちろん、今が楽しくないわけではないのです。しかし、そこに「もっと」とつけるならば・・・「寝てもさめてもそれにまみれる」こと自体が歓びである、というものをしてみようと感じたのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私の脳みそが歓ぶこと・・・・「探求」です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;例えば、今のＮＳという職業・・・・実はこれ以上の知識を得ようとすると脳みそが拒否します（笑）。何かしらお役に立てれば・・・と毎日をそれに費やしていながら新たなる知識を得ようという気持ちが全く湧かないのです。１０年以上もこの医療の世界にいながらどうも馴染めないのは分かっていることでした。「なんで？？」みたいなことが多いし、私の関心どころはむしろ「ヒトビト」であって「医療」ではない・・・・。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ふ～むむむむむ・・・・。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;じゃあ・・・カテゴリーを「医療」から「ヒトビト」に変えてみようかな、と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;寝てもさめてもそれにまみれていると嬉しいこと・・・・やっぱりこうした「探求」なんですね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「生きるとは」「死とは」「マインドとは」「ココロとは」「精神とは」「信念とは」・・・「～とは」ということを探求し続けている。おおよそ生きていくにはあんまり大事そうに感じないことかもしれないけれど、私にとってはなんだか・・・「趣味」みたいな感覚で当たり前のようにしてしまう作業。だから、ヒトビトをカテゴリーにしたリーディングやスピリチュアルなどはうふふ～な時間でもあります。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「滑稽な舞台を降りる」・・・なんとも不思議でなんとも複雑な言葉です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;最近やたらに言われてしまいます。「自分に厳しすぎる」と。どこがどう厳しいのか分からないのですが、どうやら「好きなことやったら～？」ということのようです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「絵も描けるし、リーディングも出来る。そのほかにも膨大な知識があるのになんで看護師やってるんですか？」（後輩の言葉）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・・・そりゃあ、こっちが聞きたいわ（笑）。っていうか・・・・そうか・・・そうゆうことか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;なんだかもやもやしていたものが払拭されていっています。「カタチ」は看護師ではなくてもいいのかも、と。たぶん私はヒトビトにまみれて生きていくと感じています。何かしらを触発し何かしらを癒し何かしらをさせていただくことを続けていく人生。でも、それは何でもいいんだよなぁ・・・。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「医療界」はとても素敵なことが出来る世界ではあります。でも、どうも私の脳みそが限界を迎えている。情熱は「ヒトビト」には向けられても「医療」には向けられていない事実があるのです。結構、自分自身の中で事実として捉えると衝撃的な事実でもあります。（ある後輩に言われた言葉・・・「あなたから看護を教わったことはないかも（笑）。人間的なことはめちゃめちゃ教わりましたが・・・と）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「一歩を踏み出す」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;何がしかのカタチでヒトビトに何かをさせていただくことは変わらない。けれど、私の脳みそが歓ぶカタチで、私がうふふ～とまみれることができる世界を探してみようと思います。自分が持ちえている力を最善のカタチとして行使できる世界を。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;看護師をしていると「あなたのスピリットはね・・・」なぁんて関係ない世界なんですね。スピリット的な歓びと自我での歓びとではまったくかけ離れていて・・・私が目指していることは一体なんなんだろう、なんて時々感じてしまうのです。ならば、ダイレクトに「そこに」サポートさせていただける仕事を探してみようかな、と思います。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「あなたのそれを医療に活かしてくれたら素敵です」とスタッフに言われたことはありますが・・・医療に関して「勉強しよう」と私が思わないんですよ・・・と、自分を少しだけ責めていたところがあるんです。「それはそれを好きなヒトがやってよ～」と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;案外のん気に考えてます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900cc;font-size: 0.8em;&quot;&gt;きっと私が本当にやることがＮＳならば、きっといずれまた戻ることがあるでしょうから。ちょっと冒険をしてみようかと思っています。まぁ、準備期間が必要なので今すぐではありませんが。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-27T19:06:31+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-9fc9.html">
<title>つぶやき・・・②</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-9fc9.html</link>
<description>生きていてくれることだけで嬉しい。 そこにいてくれるだけで嬉しい。 出会えたこと...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;生きていてくれることだけで嬉しい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;そこにいてくれるだけで嬉しい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;出会えたことが嬉しい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;共に過ごせることだけで嬉しい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・それじゃあ、いけないのですかね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;だから、どうか穏やかであってほしい。どうか、笑っていて欲しい。どうか、幸せを感じて生きていて欲しい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;苦しまないでいいんだよ。悩まなくていいんだよ。楽しもうよ。歓ぼうよ。愛し合おうよ。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ただそれだけなんですけどね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;なんだか、今回のことで見えてきたことがあります。たぶんそれが私の「もっと」なのだと思います。今の状態が悪いなんて思わないのです。けれど・・・「もっと」と感じるのです。いろんなことがあってもみんな素敵なヒトだし、そこにいてくれるだけでいい。でも、「もっと」歓びの中で生きることも出来るんだということを伝えたい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「それはそのヒトが選んでそう生きているんです」ということは分かっているし、けして今の生き方が間違っているわけでもない。今のカタチで幸せがあるのだし、悩むも迷うもそのヒトの自由。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・私に出来ることは、みんながある時ふと「もっと」と思ったときに何かさせていただけるのではないかなということです。「今よりも」「もっと」なのか「今のままでは嫌だから変わりたい」でもいいのです。なにかしらの「もっと」が沸きあがったときにそれについてサポートさせていただくことが、私に出来ることなのかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;なぜなら、私が「もっと」を様々なモノやエネルギーにサポートしていただいているから。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;本当の根本の「生きていてくれるだけで嬉しい」というところまで全ての人に感じることが出来たら、素敵ですよね。困ったことをされても、嬉しいことをしてくれてもどちらも「愛」であることを多くのヒトが感じられるようになったら素敵ですよね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「今、ここに在ることを歓んでください。どれほどそれが素晴らしいことなのか気がついてください。言葉を交わせることが、味を感じることが、痛みや気持ち良さを感じることがどれほど素晴らしいことなのか。肉体を持っている‘今‘だからこそ、個である‘今‘だからこそそれらを感じることが出来るのです。そして、それらをめいいっぱい楽しんでください。感情豊かに笑い、泣き、愛してください。愛されてください。」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;嫌な感情を持つことも「感動」です。嬉しい感情を持つことも「感動」です。それらを計りにかけて「良い悪い」とジャッジすることがどれほど無意味かを知って欲しいです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私は私の中に在る様々な「感動」を楽しんでいます。時には不快になり時には怒り、時には笑い、時には歓ぶ。その全てが「私」ですから、それを楽しんでいます。寂しくなる時があっても、悲しいことがあってもそれすらも「感動」なのです。「ありがとう。感動させてくれて。」と。どうして、こうゆう感覚なのかは分かりません。ですが、ヒトとの関わりとはヒトとのコミュニケーションとは「外的刺激」です。私の中での内なる世界だけでは「歓び」しかないのです。そこに様々な刺激を与えてくれて、私を感動させてくれるモノゴトに本当に感謝しているのです。時には「なんて不快なんだ」と感じることはあっても、でもやっぱり嬉しいんです。ありがたいんです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;自分の中にある絶対的な静寂、そして冷静さに気がついてからそう感じるようになりました。「感動するって素晴らしいことなんだな」と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;多くのヒトはその自らの内にある「絶対的な静寂、冷静さ」を「孤独」であると思い込んでいます。しかし、そこには「全て」が在るのです。ですから、日常の様々なことで「孤独を感じないように」と「おそれ」のもとにモノゴトを捉えることは実はさらに孤独を感じることでもあると思うのです。だから、ヒトに合わせようとしたり常識や様々な地位、権力に左右されたりすることはますます自分を孤独へと誘い続けてしまいます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;内なる世界を愛おしむことで、「全て」であることを知ることが出来ます。そして「今」がどれほど素晴らしいことなのかを知ることが出来ます。「一緒におトイレに行こうよ」なんてツレションをする必要なんてなくなります（笑）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・さてさて、何が私の中で始まっているんだろう。「感覚」が解放に向かっているのは感じます。背中の上のほうで何かがホヨホヨと動いている感じがします。どこのダァトを抜けているのかな・・・と楽しみです（ダァトとはカバラでいう「深淵」です。進んでいくときに通る「門」のようなものかな）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-17T21:27:53+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-4fcc.html">
<title>つぶやき・・・</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-4fcc.html</link>
<description>「薄情」・・・・別に悪い意味の言葉として私は考えているわけではないです。ただ単に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「薄情」・・・・別に悪い意味の言葉として私は考えているわけではないです。ただ単に「情が薄い」ということだと思っています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;いろいろ時間が経つにつれてこの言葉についてを見つめさせられています。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「情」って・・・・「愛」なのではないかな。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「感情」だと私は今まで思っていました。情けとか。でも・・・なんだか違う気がするのです。どれだけ様々なことから「愛」を感じ取り、愛するのか・・・ということなのではないかな、と。心配したり世話を焼いたりするのって愛情がなければ出来ないことだし、「悲しむ」もそう。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;でも・・・ここが複雑に絡み合っている気がするのです。「そうゆう立場だから」「それをしなければならない」「常識的に」「それをやったほうがいいだろう」・・・・あるいは「そうして欲しいから」「そうなって欲しいから」「そうなって欲しくないから」様々な「根元」が絡み合っている。それにおいて「純粋さ」が薄くなっているのを「薄情」と言うのかも知れないです。「純粋に」幸せになって欲しいから心配する。「純粋に」歓んで欲しいから世話を焼く。「純粋に」悲しいから悲しむ・・・ここに、なにがしかの打算や要求・欲求・執着・エゴ・依存心が絡んでくると「薄情」な状態になるのではないだろうかと思います。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「愛を感じ取る」ことに「こうでなければならない」があると「そこに在る愛」を上手く感じ取れなくなっていきます。ですが、愛は様々なカタチをしていて様々な色合いをしています。それを感じ取ることが出来なかったり、打算や常識などという純粋性を阻む要素があれば、どんどんエゴや要求・欲求が絡んできてしまいます。そして、それが「愛する」ということを出来なくさせてしまう。「こうしてくれないから」という理由で。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;みんな愛してはいる。けれど「でも、こうじゃなかったから」と「理由」をつけて純粋に愛することを出来ないのではないかと感じるのです。でもそれは「悪い」ことではなくて・・・ただ単に「それが在ると生きにくい」と思い込んでいるのではないでしょうか。小さな小さな愛を感じることで誰かが自分を傷つけるのではないかと思い込んでいるのではないだろうかと。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「そんな単純なことで愛を感じていたら歓びだらけになっちゃうじゃあないか」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私がこう感じるのは「ウリエル」というエネルギーをリンクさせていただいてから「こんな歓びばかりでいいのかなぁ」と感じたからです。もし、「歓び」に関して罪悪感や「そんなことあるはずない」というヒトがこのエネルギーと繋がってしまったらそれこそ全てのことが歓びに変わるので多くのことが、究極「どうでもいい」状態になっていくだろうと。小さなことにこだわることが馬鹿らしくなっていく。「歓んでいいんだよ～」というエネルギーはそれこそ今まで大事に大事に抱え込んでいた「常識」や「固定概念」なんてひっくり返してしまうほどの愛のエネルギーです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ウリエルを感じて、どれほどヒトは生きていく中で「歓んではいけない」とか「愛されてはいけない」とか「愛してはいけない」とかを思い込んでいるんだろうと思いました。上手く説明できないけれど、そう感じました。ウリエルを調べてみると「あまり注目されてこなかったエネルギー（天使）」と言われています。なんだか納得なのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「薄情」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;愛されることを拒み、愛することを狭めている状態。多くの「枠」があり、純粋に「愛」を感じとることを阻んでいる状態。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;きっと、これを読んだヒトは「私は薄情ではない」と思うかもしれない。けれど・・・・みなさんが使っている意味の「薄情」とは違います。「あなたはどれだけ愛していますか」ということです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「私は薄情なんかじゃない。あれもしてあげたしこれもしてあげた。情が薄いなんてことはない。」と言いたいかも知れない。・・・・それは「純粋な」ココロからのことですか？全く見返りもなく感謝もされず愛されることもなくてもそれをしますか？それだけ愛していますか？ということです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私にとって「薄情」とは「無償の愛」と対極に在るもののように感じます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;多くのヒトが私にしてみれば「薄情」ということになってしまいます。無償の愛を受け入れるのかどうか。受け取っているのかどうか。そして自分もそれを与えているのだろうか・・・・。「してくれた」ことに対して「愛する」ということをしているヒトが多いのではないでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・・なんだかとても寂しくなりました。他人ではない多くのことを共有している親戚ですらその状態であることに。ヒトはなぜそれほどまでに愛することを愛されることを恐れるのでしょうか。小さな小さな愛を受け取ることを拒むのでしょうか。分かりやすいことからしか愛を感じ取れないのでしょうか。自分の思い通りにしてくれないと嫌なのでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009900;font-size: 0.8em;&quot;&gt;そこにいてくれるだけで嬉しいことなのに。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-17T20:48:18+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-bfe8.html">
<title>はぁ？？</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-bfe8.html</link>
<description>今回のおばちゃんの件でひとつびっくりしたことがありました。 通夜でのこと。お坊さ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;今回のおばちゃんの件でひとつびっくりしたことがありました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;通夜でのこと。お坊さんがはじめに一言話、のようなことを話しました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「亡くなり、これから仏門に入り‘私の‘弟子となって仏様に仕えることとなります」&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;というようなことを言っていたのです（あまりにびっくりしてよく覚えてない）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「なぁんであんたの弟子になるのさ！！仏様の元に行くというだけの話であんたの弟子とは・・・何様じゃ！」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;と驚愕な発言でした。お坊様は確かに仏様に「仕えている」身かもしれない。けど・・・なくなった時点でお坊様の管轄じゃあなくなるんではないの？？「成仏できるほどではないだろう？たくさん煩悩を抱えているんだから」的な傲慢さを感じました。・・・・・それは君だよ、お坊さん。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;死者を弔うのは「生きている側のヒト」であって死したたましい自体はその時点で物質界の概念なんてどうでもいいことなんだよ。彷徨っているたましいもいるかもしれないさ。でもね・・・・全てをそう捉えるのはどうなのかな。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「煩悩を抱えている」状態で死後の世界がある、とする仏教の世界。だからこそ生きているうちに徳をつめ的なことをうたう。「成仏できない」「成仏しないだろう」という生きている側の悲しみを汲んであたかも「まだそこにいるよ」と言ってあげたい気持ちは分かる。でも案外、あっけらかんとしているよ、みんな。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私がよく「地球上の概念」という言葉を使いますが、まさにその極地です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「地球」という、あるいは「地域」や「文化」という域を超えることなくその世界観を組み立てているんですね。そこに「宇宙」や「別の次元」は含まれていない。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「アセンデットマスター」というエネルギーを称するものがあります。それは「地球上での」概念を元にしたマスターなんです。「ブッタ」や「観音」「マリア」「アテナ」「アフロディーテ」そして「アマテラス」。様々なエネルギーを称している言葉なのですが、そもそもそれはこの地球上で明確に働く地球で誕生し地球に根付いた地球のエネルギーなんですね。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;仏教的なエネルギーもまたそうです。如来・観音・菩薩・・・・１２神将や神獣たち。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;でも・・・たましい、つまりスピリットは死した時点で「地球」という枠を超え全く別の次元へと行くのです。以前の記事で書いたように別の次元とは「宇宙」ではありません。宇宙ですら物質界です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;仏様の元に行く。つまり生きている人間の管轄を離れる、ということです。生きているお坊さんの弟子になるなんてことはお坊さんの傲慢さでしかありません。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私には「そこ」がどこなのかは分かりません。ひかりが満ち満ちていて、美しい世界。でも少なからず分かっているのは地球上での、生きているヒトビトの手出しできる世界ではない。それこそ、物質界の概念で生きていて物質界の理の中生きることを余儀なくされている間は煩悩や欲、邪心など様々なモノを持ち得ている状態なのでまさに「ひかり」そのものの世界にはなれることはないわけです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;本当にお坊様も宗教も・・・・「生きているヒトのため」にあるんだ、と感じます。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;・・・あぁ、びっくりした。仏様に仕えているのにそんなことも分からないのか、それとも生き残ったヒトビトのためにあえてそう言ったのか・・・・。なんにしても・・・・びっくらしたよ～。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-15T20:00:03+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-f1ef.html">
<title>感謝すること</title>
<link>http://jyunsai-kojyuan.cocolog-nifty.com/tankyudou/2009/10/post-f1ef.html</link>
<description>私にはなぜ多くのヒトが「死」をそれほど自覚しないのか不思議です。 私が感じるのは...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私にはなぜ多くのヒトが「死」をそれほど自覚しないのか不思議です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;私が感じるのは「私」として生きるのは今世だけ、ということなんです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;輪廻転生や前世があったとしても今の私は「かつての友人」や「かつての両親」「かつての愛するヒト」を知ることは出来ません。つまり、来世があろうとなんだろうと「私」として生きているのは今世だけ。今の両親や親戚、友人、知人、愛するヒト・・・・今の私としてこの時代に同じ関係で同じ様に過ごすことは二度とないのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;だからこそ、愛し合うことが大切なように感じるのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;出会った奇跡、感動しあう奇跡、愛し合える奇跡。二度とは来ないことならば愛し合おう、と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ありがたいなぁ・・・とそのヒトやすべてのことから愛を感じる。本当にそう思うのです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「あぁしてくれない」「こうしてくれない」・・・・いいじゃない。むしろ、してくれないことで「感動」＝「感情が動く」ことを経験出来ているのです。「こ～んな嫌なことを感じさせてくれてありがと～」と。「でも愛しちゃうもんね」。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;愛するも憎むも自由なら、私は愛するを選ぶんです。どきついことがあってもくやしくても悲しくても・・・・でも、それすらも愛すようにひかりを見つめるんです。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;おばちゃんが最期に教えてくれたこと。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「愛を受け取っていいよ」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;受け取っていないヒトビトを見せてくれました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;どうでもいいメンツを大切にして、思いやるということを忘れてしまっているヒトビトを見せてくれました。ありがたいことです。おばちゃんが見せてくれたことを忘れません。私はそんなヒトビトのことも愛してしまっているんだということも分からせてくれた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「慈しみ」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「許す」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「受け入れる」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;「愛する」&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;いろんなことを学ばせてくれました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;数週間前、ヒーリングを進めていこうと思ったときカードを引いてみました。「そのことについてお願いをしましたか？」とカードが出たので思わず「それらを進めるお金をください」とお願いしました。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;今回の流れを見ると・・・・まずは今月伊勢神宮参りを計画していましたが「なんか違うな」と変更しました。その旅行にかける金額は５万円予定でした。伊勢を変更してティーチャーズディグリーを受けることにしました。その金額も５万円。そして、それは流れておばちゃんの件でかかった金額が５万円。・・・そして、１１月に予定していた京都旅行も流れ・・・その金額が５万円。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;巡りに巡っているこの５万円。つまり何かに使え、ということなのだろうと感じます。ティーチャーズは流れたのに５万円がやはり浮いている状態です。ふむ・・・・。きっと、使うべきところがあるのでしょう。再びティーチャーズにかけようか、それとも何か別のことがあるのか思案中です。「それらを進めるためにお金をください」の「答え」なのかな・・・。そして、それを進めるのには今回のおばちゃんのことを経験してこそのことなのだろう、と。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ありがたい。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;きっと違うことに使おうとするとやっぱり流れるのだろうとは思いますので気楽に考えます（笑）。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;ありがたいお金ですね。いろんなことがつまったお金です。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff3399;font-size: 0.8em;&quot;&gt;感謝することでいろいろなギフトがやってきます。愛することで愛が享受できます。もっともっと「ありがたいなぁ」と感じられるように邁進したい、と思います。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>探求のつぶやき</dc:subject>

<dc:creator>ＪＹＵＮＳＡＩ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-15T11:45:48+09:00</dc:date>
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