充満する
いつも記事に書いている部分。それは「マインド」の部分です。
私はこの「マインド」がとてもアプローチしやすいからなのですが。
なぜマインドの部分がアプローチしやすいかというと、確固たる意思ほど強固なものはないと感じるからです。「ココロ」=「感情」でいうと外的要素にかなりの影響を受けます。外的要素とはつまりは「自分以外のモノ」。しかし、マインドは内なる自己です。マインドも外的要素の影響は受けますが、でもそれを「選ばない」とか「自分はそうではない」とかを自覚していけるのがマインドなのです。
もちろん分離しているわけではなく「ココロ」=「感情」を素地にしていることも多いです。ですがそれを「さぁどうしようか」と見つめるのが「マインド」=意思なのです。
スピリットの全体像の中でどれもが周りへとエネルギーを振りまいています。
繋がっていますから「ココロ」=「感情」を元にした「想念」もまたエネルギーとしてそのヒトの周りに充満しています。
・・・ですから、「感情」でもし「好きなヒト」と思っているとそれらは自分の周りに充満します。もし反対に「嫌い」という感情があればそれもまた充満します。
私が「マインド」からのアプローチをするのは、前述したように外的要素を受けやすい「感情」を元にしていると「こうしてくれないから」=「嫌い」→それを想念として充満させる・・・ということが至極幼い感じがするのです。
千差万別のヒトビトがいる中で、一体どれだけのヒトが「あなたの思い通り」なことをしてくれるのでしょうかね。他者である人々が自分の願いどおりに動いてくれないことをもとに「嫌い」とか「嫌な人」とか「想念」を振りまくのは幼いと感じるのです。
「本当にそのヒトは嫌なヒトでしょうか?」と感情ではない部分できちんと見つめると「想念」を幼いまま振りまくことは少なくなっていくでしょう。
「大人」になるにつれ様々な情報や社会という波やいろいろなヒトと関わる中で培われる「あなたではない」側面を冷静に見つめるには「ココロ」=「感情」という外的要素の影響が強い部分からではとても難しい。
「みんながやっているから」というのがまさにその極地ですね。
「マインド」とは信念とか信条とかです。つまり外的な環境や状況がいくら変わろうとも確固たる「意思」として「自分を生きる」ことができる基盤です。それらをきちんと自覚することで夢を掴んだり、困難に出会ったときに乗り越えたりができるのです。
「マインドをコントロールできるのはあなただけです」
外的要素であるはずの情報などを安易に信じ込み、自分で考えることを放棄してしまうことほどもったいないことはありません。情報がどうであれ「あなたはどうするのか」ということをきちんと自分で選択していくことがとても重要だと感じるのです。
そのマインドの中で多くのヒトが「ひかり」を選択し、「愛」を選択しそしてそれをエネルギーとしても周りに充満させられたら素敵ですよね。
「何を思っても自由でしょ」・・・確かに自由ですよ。
でもね・・・あなたが感情の部分でイライラしていて、愛するヒトには笑っていて欲しい、なんてやはり矛盾していますよね。思っていることすら周りにエネルギーとして充満することを知れば、愛するヒトに笑っていて欲しいからこそ自分も笑っていたい、となるように感じます。
愛するヒトを「愛」というエネルギーで包み込む。想念でもエネルギーでも。それを選択するのが「マインド」です。
「本当は嫌な人ではなかった」という側面を気づくことで、「嫌い」という想念を充満させることがなくなっていくのです。
自分は一体どんなものを周りに振りまいているか、再考あれ。


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