目に見えないことへの畏怖
前記事と繋がっているのですが・・・去年、伊勢神宮参拝をした時のことです。
ちょうど内宮の中では「神事」が執り行われていました。私もそれを眺めながら「ふわぁぁ~よきかなぁ~」に包まれていました。すると・・・若いバスガイドさんが大きな声で「はぁ~~い!ここが伊勢神宮の内宮ですよ~!参拝してくださぁ~い!!」と旗振りフリズカズカと鳥居をくぐり、ツアー客を案内してきたのです。
今回のご来光ツアーでもそれと同じ感覚がしました。
確かに神様たちは「それすらもよきかなぁ~」というなんとも大きなエネルギーたちです。・・・でも、ごめんね。私は人間ですから、神様のように大きくはなれません 笑。
お願いですから、もう少しだけ・・・・「畏怖」ということを感じることは出来ませんか?目に見えないモノに「愛おしい」と感じることは出来ませんか?
「畏怖」:「おそれおおい」:「感謝すること」です。
この日本を守ってくれているエネルギーである天照大神に「ありがとう」と感謝することは「宗教」でもないし「信心深い」でもなく・・・・なんと表現したらいいか・・・・。「今ここにいることをありがたいと思うこと」と繋がっていると思うのです。「あなたたちがいてくれたから今の私はここにいる」ということなのだと思うのです。父や母、ご先祖様たちを敬うのと同じことです。全て繋がっていて・・・・・「今」がある。それに「ありがたいなぁ」と感謝することがそれほど難しいことなのでしょうか・・・。
少し前の記事で「願い事」についてを書きました。
ヒトは「こうお願いしたんだからこう叶えてよ」と言います。そして、それがその通りに叶わないと「やっぱり神様なんていないじゃん」と腹を立てます。
ですが・・・・そういった存在たちは「それすらも」「よきかなぁ~」と言ってくれているのです。
どうゆうことなのか見つめて欲しいと感じます。
どれほどの大きな愛で見つめてくれているのか。
クァン・インと繋がった時・・・・「あんたすごいよ!慈悲ってすごい!‘最後の一人まで共にいます‘という観音様の言葉・・・私にはとても難しいことです!」と感じました。なんて、私は小さな人間だろう、と。いまだに、上記のようなことがイマイチ理解できないし、そういったヒトの最後の一人まで共にいる、なんて正直気が遠くなります。数千年たっても学ぶことが出来ていないヒトにそこまでの慈悲を抱くことが私には難しい。
・・・だから、せめて・・・「目に見えないモノへ‘敬う‘というココロを持ってはみませんか」といい続けたいと思っています。
どうしたら伝わるんだろう?と常々思います。
「感謝すること」「慮ること」・・・・「感じること」。
それがなくてもヒトは生きていけます。それがなくてはいけないものでもないです。ただ・・・それを感じることが出来た時、それまでとは違った「歓び」「感動」「嬉しさ」「愛」があふれ出すのです。せっかく生まれてきたのだから、せっかく肉体を持った「個」としてこの地球にいるのだから・・・・それらをもっともっと感じてみて、経験豊かな素晴らしい人生を送ってみてはどうですか?と感じます。「お土産を買うこと」「観光すること」だけではない素晴らしい経験がたくさん出来るのに・・・・。
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