これは・・・?
富士山ご来光ツアーでのこと・・・・。
伊勢神宮の参拝に行った時も同じ現象が起きました。
まず一つ目は「体に悪いモノは食せない」。伊勢に行った時は2年連続で同じ現象が起きました。参拝後、自動販売機でちょっと炭酸系のドリンクを買おうとしたら「出てこない」。2年連続、で。結局「水」を買うことに。今回の富士山でもコーヒーが出たので飲もうとしたら一口も飲まずに「こぼした」。結局持参したお茶を飲んだ。
そして、これはどうゆうことなのだろう?と不思議なのですが・・・・。
どう書いて良いのか分からないので、漠然と書きますが。
高次のエネルギーに満ちているところに行くと、低次のコト・モノが不快でたまらなくなるのです。私の場合、「繋がる」という動作は勝手に作動してしまっています。伊勢神宮や富士山などはまさに「んとね~」と言いたくなる様なたおやかな、そして荘厳なエネルギーに満ちています。そこに・・・・「ヒトの想念」も同時に繋がってしまうと「不快」極まりないのです。
ツアーの「案内人」と称してガイドがつくのですが・・・・なんとも言えない・・・「ヒト」そのもので・・・・かなり辛かったです。かつてなら「聞かないといけないのかな」と我慢してガイドを聞いていたことでしょう。しかし・・・限界ヨロシクを経験した私は我慢しませんでした。席を離れ一人富士山を眺めていました。
酷評となってしまいそうなので細かくは書きませんが・・・・一言。
「富士山を愛するならば‘富士山を眺める時間‘を作ってさし上げるのもあなたの出来ることですよ。‘お土産を買わせる事‘‘こうゆう歴史があるから富士山は素晴らしいと定義付けること‘は必要ないのではないですか?」
そこに在るだけで素晴らしい。ヒトが何を言おうとヒトの歴史がどうあろうと、ただただ美しいのに。・・・・目に見えること、ヒトの道程だけが素晴らしいということに終始した結果・・・・ほとんどのヒトは「ガイドのお話を聞き、お土産を買う」ツアーでしかなくなってしまっているのです。少しだけ・・・・さみしくなりました。
不思議です。とても格安でこのご来光ツアーは開催されています。海外旅行で言えば「なんのガイドもなく」開催されるほどの格安さです。しかし・・・・富士山では、その格安だとこの「お買い物ツアー」となってしまうのです。本当なら「バスで行って帰って」だけで「あとは勝手にしてね」みたいになるはずなのに・・・。う~むむむ。残念!
でも、ご来光は美しく、富士山も美しく。伊勢とはまた違った荘厳さがある素敵な場所でした。個人的な探求として「高次のエネルギーが満ちているところで低次のエネルギーを察知しない方法」を検討中。あの不快さはちょっとつらいから。
伊勢では「ふわぁぁ~」と言っている間に、どんどんその不快さから血の気が引き・・・・顔色不良、になっていました。だから参拝する時は一緒に行っている友人でさえも私の側から離れてもらいます。
自分で意識的にしているのではないので・・・・どうしたらいいのかは分かりません。この勝手にいろいろなものに繋がってしまうのも「私」なので探求開始です。せっかくの美しい素敵なエネルギーの体感時間なのに「ヒトと一緒」だととてもツライ。これをどうにかしたいものです。素晴らしい体験とどうしようもない感覚とが同時に襲ってくる。自分がばらばらになりそうな感覚です。でも、一人になり素晴らしい体験だけにするとなんとも言えない心地よさが溢れます。「よきかなぁ~」と。
いつかヒトと素晴らしい体験をシェアできたら素敵です。
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