リーディング
リーディングや例えばレイキ、スピリチュアル・・・そうゆう世界に興味がないヒトもたくさんいます。それはそれでいいのです。
これはいつかそのヒトが見てくれたらいいなぁ、ということを書こうと思います。
「悪魔にたましいを売ってるから」というヒトがいます。・・・・私から見ると真逆なのです。「いや、あなたがしていることは慈悲そのものじゃあないですか」と。
自分に厳しく、ヒトに優しすぎるぐらい優しい。優しいからこそメディカル、というルールの中で日本というルールの中で「悪魔」と称するようなことをしなければならない。それを自覚している時点で「慈悲」なんですよ。本当に悪魔にたましいを売っているならばそんな言葉は使いません。
自分がしていることを「悪魔」と表現する事事体で、すでに慈悲となっているのです。そこには自分自身の葛藤や「もっとこうできるはずなのに」とか「もっと出来ることはないのか」とかという自分への投げかけがあるからこそ「悪魔」という言葉を選ぶのです。「そうではない」という想いが自分自身を貶めるような言葉を選ぶのです。
もちろん「自分がしていることは慈悲だから」なんて公言してしまうのはこれまた?ではあるのですが。
いつも思います。ストイックなまでに自分に厳しく、言いたいことはたくさんあるだろうにそれを言わずとただただ自分が成すべきことをこなそうと一生懸命働いている姿を見ると「自分を大切に」と。あなたは十分に頑張っているし、十分愛されています。信頼もされているしみんなの支えにもなっている。どうか、穏かであれ、と。
興味がないヒトに、こんな話をするのもどうかと思うので伝えることはしていません。
しかし・・・・時々、自分を責めているような節があるのでもどかしくなります。責めなくていいのに、と。もっと、言いたいことを言っていいし、もっとガンガンに攻撃的でもいいのに。
数年前に亡くなった方が言っていました。「あんたはよく頑張ってくれた。本当にありがとうって伝えておいてくれ」と。それを伝えたいけれど、どうも霊だの何だのにはイマイチな印象があるのでこれまた伝えられていないです。
価値観の違いや信ずるところが違うのも個性。信念を何に見出すかも自由。
・・・・もどかしいなぁ。いつか、伝えられるといいのだけれど。
こんな感じの「伝えたいけれど伝えられない言葉」はたくさんたくさんあります。多くのヒトに。「そこはこう捉えればいいのに・・・。なぜ、苦しむ方を選ぶのかなぁ」みたいなことばかりです。私の印象が恐いイメージなのか「怒られるかと思った」という方が多くいます。怒る立場にはございませんよ。かの占い師のように怒ったりはしません。よほどでないかぎり 笑。
神様が「それでよい」と「よきかなぁ」とその存在を認めているのに、私ごときが怒るなんてことはないのです。でも、「こうしたらどう?」とは伝えたいと思います。そして、そうしなくてもいい。あなたの意思ですから。私のリーディングは「答え」を出しません。ただ、伝えるだけです。方法や方向性を「こんな側面もあるんだよ」と提示するだけです。そして、その先の「どうするか」は相手の自由ですから、ご自由に選択すればいいのです。
身の回りにいる人々の様々な事を感じます。それをどう伝えていいのか、そもそも伝えることにどんな意味があるのか・・・・いろいろと学んでいます。


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