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長い間の疑問

なぜ「気づくモノ」と「気づかぬモノ」がいるのでしょうか。

今大きな「流れ」が起こっているのは「全てのモノ」に、なのですが・・・・「気づかぬモノ」「気づくモノ」が在ります。

そしてさらに「気づくモノ」にも深淵に「気づくモノ」と「気づかぬモノ」が在ります。

もちろん気づかぬモノでも変容は始まっていて進んでいます。

しかしどこを「到達点」にしているのでしょうか。

自覚しうる「意識」の領域で行動を起こすことを促されている人々も多くなってきています。けれどあまりに「幼い」領域であることもしばしば・・・・。

意識していようがしていまいが、進んでいてたぶん同じ様に変容していっていることでしょう。

では「気づくモノ」は一体「何を」すればいいのでしょうか。

自覚しうる意識の領域で「自覚」すると変容は「明らか」に進んでいきます。それを促すことでしょうか。

ここで疑問が浮かぶのです。気づかないままで自覚しないままでも変容は行われています。それを「自覚する」ことへの意義がよく分からないのです。スピリチュアルの大きな流れの中で「自覚しましょう」という一定方向へ促されている風潮もありますが、それは「何を」目的としているのでしょうか。「自覚したほうが楽だよ」ということなのは自分自身の経緯を見ても分かります。

それぞれのスピリットの自由意志の元「気づくモノ」「気づかぬモノ」が在ります。

多くのヒーラーや様々なメディスンたちは例えば「サロン」を開き、「気づきつつあるモノ」「気づくモノ」に対する門戸を開いています。では、「気づかぬモノ」への門戸は誰が開くのでしょうか。もちろん、そのヒーラーたちやメディスンたちと関わっていった人々が散らばり拡がっては行くのでしょう。

では「幼さ」は?

全ての事柄、事象、出来事は「そのスピリットに見合った」領域で起こります。

時々出会うヒーラーとはまた別の役割を担ったヒトは必ず同じ様な「色」をしています。顔色というか・・・・。しかし、そういったヒトは多くはすでに「センセイ」と呼ばれる地位を得ていたりします。「スピリット」と「自我」で繋がりがどういったコードになっているかは分かりませんが・・・私は「不健康」と感じるのです。上手く回っていないな、と。ですがその人々に「教えを請う」ているのです。

本当の意味で「輝いているヒト」はいます。そういった人々と出会えるように多くのヒトが選択して行って欲しいと願わずにはいられません。

極端に書いてしまえば「地球上での概念」を手放せずに「ヒト」であり続けることに必死で「執着」しているヒトは顔色が悪いです・・・・・。

そうゆうのはどうしたらいいのでしょうね。

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